さっそく話題になったカフェに行くことになりました。

さすがにやり手は違うなぁと思ってしまいました。昨日、知り合いのイベントに参加した際に、たまたま話したカフェにみんなが興味を持ったので行こうということになりました。主催者だった知り合いとは後片付けがあるので話がまとまらないまま分かれましたが、さっそくLINEがありました。行くことにした日にちは結局、都合が悪い方もいたのですが、知り合いは他の友達にも声を掛けていく気満々でした。話したことで行動が起きるのって嬉しいし、何かのきっかけになればなぁと思っているので小さなことですが感動します。お店がお家カフェなので予約した方がいいので人数決まり次第メールしようと思います。まだ今年行ってないので、オーナー驚くかな。そっちもけっこう楽しみです。ひとりで行くのもいいのですが、やはりお客さんがたくさんいた方がいいに決まってますよね。モーニングもランチもやっている店ですが、わたしは家が近いのでどちらでもいいなぁと思っています。それにしても、知人ながら頼もしいです。ミュゼ ヒゲ

遠くて顔も名前もよくわからないような親戚

先日、お母さん宛てに一通のハガキが届いたのですが、それはお母さんのおばさんが亡くなったことを伝える訃報でした。
おばさんの旦那さんはずいぶん前に亡くなっており、子どももおらず身寄りのない人だったそうです。
私からしてみるとおじいちゃんの兄妹ということになるのですが、おじいちゃんもそのほかの兄妹もみんなすでに亡くなっています。
そのため、亡くなった後のことを弁護士さんにお願いしていたようで、差出人は弁護士さんの名前になっていました。
もともと生前はエキセントリックな人だったようで、それほど親戚付き合いもなく、ちょっと浮いた存在だったそうです。
ハガキには、お母さんのいとこにあたる人が葬儀に来てくれると書いてあったのですが、お母さんはこのハガキで初めていとこの存在と知ったそうです。
私にも名前は聞いたことがあるけど顔を知らない親戚というのがいたりします。
どの家でもそういう親戚というのは一人や二人いるものだと思うが、実際のところどうなのでしょうか。
親戚というのはときに面倒くさい存在かもしれませんが、死んだときに初めて知るというのもなんだか寂しい気がします。全身脱毛 価格 比較

称号というグッズについて私なりに真剣に考えてみた

あたいは20代くらいまで自分のタイトルがいまひとつ好きではありませんでした。そのため近しい近隣からでも下のタイトルより苗字で呼ばれることを望んでいました。理由は必ず女子らしきタイトルが不快だったからだ。あたいは女子なので、だったら女子らしきタイトルで宜しいではないかと思うお客もいると思いますが、当時のあたいはそれが本当に不快だったのです。
しかしタイトルというのはその人の金字塔身近な拠り所であるというコメントを聴き、あたいは考え直しました。更に本当のことを言うと、そのコメントを訊くちょっと前から「自分のタイトルを嫌がるのは、自分のライフスタイルにとって良くないのではないか」と漠然と覚えるようになっていたので、正しくナイス形態でした。
拠り所というのは大事にして当然の賜物なので、タイトルがその人の拠り所だというのなら堂々と誰に気兼ねすることなく大事にすることができます。却ってここを否定することは自分の非難だけにとどまらず、産んでくれた親や、ヤツというものを作ってくれたいわゆるゴッド的付きまでも否定することになるのではないかと思ってしまいました。